発達障害者〜健常児と障害児子育ての難しさについて〜

こんにちわ、悦子です。ところで季節は気づけばあっという間に6月になっていた。。最近も特に特別な活動をしていた訳ではなく日々を淡々と生きていました。あれから足底筋膜炎も完治してはないもののなんとか我慢できるくらいの痛み程度で生活できるようになりました。今気をつけてるのは、出来れば毎日16時間の空腹時間を開ける朝断食、まあ現実には厳しいので毎日15時間くらいの空腹時間を保つようにしています。それから小麦粉と乳製品はもうここ2、3ヶ月はほぼ食べてません。(多分2週間に一回は食べてる)後は砂糖をできるだけ控えるようになったのでこれは本当に我ながらすごいと思うのですが、なんと市販の袋菓子に至っては本当にここ3ヶ月一口も口にしておりません。そしてこの前の遅延型フードアレルギーテストで引っかかった体に良さそうな納豆とキノコもここ最近そういえば食べてない。。なので、その代わりに栄養を補うためにビタミンDとマグネシウムのサプリの経口摂取しています。そして相変わらずリハビリを兼ねて理学療法の先生にあったり、身体の痛みの原因を探すべくまだ病院通いしています。よく友達には暇人だから病院ばかり通っておばあさんみたいと笑われます。でも確かにその通りで本当にやる事ないし、

食生活に気を取られて自分の人生を生きていない焦り

を最近感じるようになりました。実は私何かに熱中すると過緊張と過集中を起こし、その反動で甘いものお菓子を食べないと勉強とか仕事ができなくなってしまう。なので今のこの食事制限をなるべく壊さない為に日々極力無理する事を避けるようにしている。でも何だろう?この焦燥感は?色々頑張って勉強したいこともあったのに、きっと無理するとまた元の食生活に戻って腰痛、足底筋膜炎がひどくなってしまうという恐怖が足かせになり頑張る事が出来ない。しかもさらに悪い事に、どうせみんなと同じ食べ物食べれないから外食もあまり行かない。せっかく健康の為にと始めた健康生活が逆に足かせになりどんどんメンタルが下がり負のスパイラルに入り気づけば誰とも会わず家に引きこもるようになっていました。でもこれではいけないと思いバンコクに来て出来たお友達(ほぼいない)と1ヶ月に一回は会うようにしてるけど、そんなお友達と会っている時ですら焦燥感や虚しさは逆に増すばかり。そしてこれは私の癖なんだけれども人に会うとついつい自分の話より相手の話を聞いてしまうことが多い。今振り返ると自分が発達障害なので周りの人に嫌われないような防衛反応が働いてそのようなスキルが身についたのか分からないが他の人と話をしていても聞き役になることが多い。そして自分もたくさん問題を抱えてるのに他の人の健康問題や家族の問題や友人のこれからやりたい事、仕事の話子供の話を聞き結局は相手は自分のストレスを発散できるが自分のストレス発散にはならず、他人のキラキラした芝生を羨みながらやっぱり人に会わなければ良かったと帰宅する日々。でも私自慢ではないが、聞き上手と言われることが多いから、もしかしてカウンセラーとか占い師とかいう職業に向いているのだろうか?どうなんだろう?でも実は今私やりたい事があってそれはジャズピアノをマスターして自由にジャズバーとかのお店のjam sessionで自由にピアノを弾きたいとかいう夢なんだけど、それってただの趣味で別にこれで食べていける訳でもなく仕事に就ける訳でもなくそれでもjam sessionに参加するにはピアノの練習で膨大な時間を費やさないと上達しないので、今は家で毎日2、3時間くらい練習してるけどそれのおかげで体に無理がきてるのは分かってるし多分向いてないんだろうと薄々分かっているけど中毒のように練習をやめられない。。多分それをやめたら一気に心身のバランスを崩しメンタルをやられるのがわかるから。でもその甲斐あって先日タイに来て初めてピアノの伴奏のお誘いが来たんだけど、持ち前の過緊張とプレッシャーに潰されなんと本番前にぎっくり腰になりその後血液検査にも引っかかりあえなく辞退することに。色々頑張る気力はあるのに体がついていかない

発達障害の私は一体何をして生きていけば良いんだろうか?

実は昨日も久しぶりに昔から家族ぐるみであってる友達が海外からバンコクに来たので会ったのだけど、しばらく見ないうちにお子さんたちが大人のように成長していてびっくり。そして、そこのお母さんはしっかりしてるから子供が小さい頃はちゃんと専業主婦で家にいて子供を丁寧に育ててきたからなのか、知らない間にそのお子さんたちはしっかり英語も日本語も完璧に話せるバイリンガルになっていた。。それに比べてうちの子は一人は重度知的障害児でもう一人は私が子供が小さい時に外で仕事ばかりしていたので、子供が小さい頃に子供と真剣に向き合ってこなかったので、子供と日本語で喋る機会もあまりなく、そのせいで大きくなったら次女は日本語があまり喋れなくなってしまった。そのことに本人も気づいてるらしく昨日も友人のお子さんたちと喋る時は日本語だったので、次女かなり緊張してしまい普段すごい喋るのに日本語があまり喋れないという思いから無口になり後で聞いたらなんか劣等感を持って帰ってきたのだそうだ。昨日は外で焼肉を食べたけど、ありちゃんはもちろんお家でお留守番してもらった。なんでかって言うと今はありちゃん誰かれ構わず人に唾を吐くので人と会う時は外に連れて行くとゆっくり食事ができないからだ。本当はこうやって人に会わせないの良くないかもしれないけど、実は今ありちゃんを外で友達に合わせるのは極力避けている。まあ一つの理由としては先ほど述べた唾吐きもあるが、それ以外にも場の雰囲気がシラケるからだ。まあ子供がこんな風に子供が育ってしまった状況を作った要因の一端は私で間違いないけど本当に娘には申し訳ないことをしたとここ最近本当後悔する。けど時すでに遅し。なので最近は他の人にさらっとうちの状況について聞かれることもあるので喋るけど、その後往往にしてさりげない沈黙がありその後話の節々に可哀想にという哀れみに似た同情の目を向けられる。いつもそんななので私も同情されるのが辛いせいなのか最近は自然と自分の家族の話題を避けその代わりに心にも思っていない世間一般回答みたいなのを口にすることが増えてきた。ちょうど私くらいの年代になると子育ても終わりに近づいてきてるので、日本にいる友人とかとも「子供が手が離れたらようやく自分の時間がたくさん持てて好きな事出来るよねー」とか「子供が手が離れて家からいなくなったらなんかものすごい寂しいかも」みたいな事を口にすることが多くなってるけど、心の中では「障害児は一生手が離れないんだよ!」とか叫んでたりする。私の日常生活は表面的な声と心の声が乖離している状態が普通なのだ。やばいこのままでは解離性同一障害とかになったりして。やっぱり相当病んでるんだな私。そして昨日焼肉店から帰宅しありちゃんの部屋をちらっと覗いてみたら、もう16歳なのにまだ『おかあさんといっしょ』みたいなテレビ番組を見て楽しそうにしていた。でも私はそれを見ていたら何故だか涙が止まらなかった。普通の子と比べて障害児でも肉体的には成長するけど

障害児は精神的にあまり成長しない

この写真のようにありちゃんはいまだに電車が好きで車掌さんの帽子をかぶって電車ごっこしたり『鉄おも』という雑誌を見て銀座線の車両を眺めるのが好きで、それがなんだか可愛いんだけど、本当に世間の時間の流れと逆行して私と彼女の時間だけもう数十年ずっとそのまま止まってしまってるみたいでそれが切ない。他人とはあまり比較してはいけないと分かってるけど十数年もかかってようやく気づいた障害児育児の難しさ。だから自然と私の旦那も次女も私も

障害児が家にいるから夢を抱けない

というブロックがなんとなくかかってしまってる。ありちゃんが家族に重い影を落としてるのは間違いない。加えて私の発達障害、主婦としても仕事人としても壊滅的なくらい何も出来ない、空気読めない、マルチタスク出来ないポンコツときてる。きっと私の状況がさらに障害児育児を難しくしているのだろう。本当は明るい事書こうかと思ったけど最近メンタルやられてるのでやっぱり明るいことは書けなかった。いつも私は自分の感情を殺して生きてる部分が多いのでこのブログでは自分の本音を書いていきたいと思いました。

ちなみにこちらは最近のありちゃん。この日は塗り絵をしたらしい。よく見ると16歳相応の美人さんなのでもったいない。

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