こんにちわ、悦子です。そして最近は特に何もしていないので何も書く事がない。しかも体調もあまり良くなくやっぱり腰痛が良くならないし肩こりも酷いので何となく集中して何かに取り組む事が億劫になってきてたりする。でもそんな悶々としてた時たまたまコンビ二に行ってこんな本を見つけました。
PHP Special 6月号いい習慣が幸せを呼ぶ
この記事を読んでいたら、
五十嵐大さんというエッセイスト
さんの記事を見つけた。この方は
聴覚障害のある親に育てられた聴こえる子供
なんだそうでアメリカでは
CODA(Children of Deaf Adults)
というらしい。アメリカではコーダについての研究や支援も進んでるそうだがコーダには特有の生きづらさがあるらしい。要するに親は手話を使って会話をし子供は音声言語で話すので、親子間でコミュニケーション不全が生まれる。自分の気持ちを正確に伝えるのが難しく親に理解してもらうのも難しい。五十嵐大さんはそして祖父は元ヤクザでしばしば暴力を振るう人で祖母も宗教にハマってしまった人で所謂
普通ではない家庭で育ったらしい
このエッセイたった6ページの記事なんだけど、その記事を読んで私はこの五十嵐大さんの境遇にえらく共感してしまった。なぜなら私と境遇が似てるからだ。私の家庭環境を知らない人にちょっとお話をすると
私も普通の家庭では育ってない
実は
私の弟はダウン症で子供の頃は入退院を繰り返してた
ダウン症と言えば、今は軽度の子供ばかり目立ちやれ大学に行っただの書道家になっただのタレントになっただのもてはやされるが、うちの弟はダウン症では最重度、漏斗胸と人工肛門などの合併症がある。そのおかげで弟は30歳になって施設に入所したものの未だに時たま大便が胃の方までいってしまって入院することもある。小さい頃入院してた頃は入院先の病院の食堂で両親にチョコレートパフェやフルーツパフェを買ってもらえるのが楽しみだったけど症状が安定して弟が家にいるようになったら最初の頃は可愛かったけど、年と共に手がかかる事が分かった。まずうちの弟は外食すると隣のテーブルに行って人様の食べ物を盗んだりするので、最初の頃は家族でレストランに外食に行ってたけどいつの間にか
弟含め家族と外食する事がなくなった
昔は障害者に対する好奇の目があったのかもしれない。なんとなくレストランに行けなくなった。弟が生まれて障害が分かった時も母はものすごく泣いたそうだが、なんとその当時の医者に泣いてどうする、お母さんがしっかりしなくてどうするとむしろ突き放されたらしい。その話を後日母から聞かされた。その母は大変優秀な人で有能なインテリアコーディネーターで通訳の仕事とかもしてたけど、弟がいたのでせっかくの
仕事のキャリアも手放さなければならなかった
子供の頃子供ながら大きなテーブルで設計図を書いてる母がとても素敵だなあと思ってたのにいつの間にかその大きなテーブルは家の中から消えていた。その母はその後はまるで時が止まったように周りの新しい事に興味を示さなくなった。数年前にその母を癌で亡くしたが、最後まで携帯やパソコンを使おうとしなかった、もしかして新しい事を学ぶ意欲もだんだんとなくなっていったのかもしれない。
そして肝心の私の方は弟に手がかかったので親にそんなにかまってもらえる感じではなかったけど、それはそれで自由で何も不満はなかった。でも何となくお友達の間で兄弟の話をするのが億劫でなかなかお友達に弟の事を話せなかった。クラスメイトは多分私が一人っ子だと思った人が多かったと思う。子供の頃はなんか弟の事を話して気まずくなるのが耐えられなかったのだ。今思うといつもぼーっとしていてよく忘れ物をして人の話は話半分、部屋は片付けられない子供だった。それがまさか大人になって
私自身が発達障害がある
事に結びつくとは、この時は思ってもみなかった。今は診断が降りたのでホッとしてるが未だに社会生活や家庭生活を送る時に不便を感じる。色々忘れ物したり、子供の大事な予定とかすっぽかしたりするし、物事の優先順位がつけられなかったり部屋が片付けられないからだ。そして私の結婚した家庭もやっぱり普通ではない。
長女モワットウィルソン症候群という遺伝子の病気
を持って生まれてきて、生まれた時は普通の身長体重でなんも問題がなかったが、よく寝ない子でなんと50分に一回起きる子で音に敏感でショッピングモールとか連れて行くとずっと泣いてる子だった。そのおかげで私は寝不足になり産後うつになり、母に夜中手伝いにきてもらって夜3時間くらい寝るようにしてもらった。その後も長女はよく泣く子でずっと抱っこしてないといけなく育てにくかったのでいつの間にか私は仕事に復帰するという名目で彼女と距離を置くようになった。その時はむしろ仕事に出てる方がホッとした。そして次女が生まれてもやっぱり持ち前の発達障害のせいか二つの事を同時にする能力のない私はその当時ほぼ年子だった二人をプールに連れてった時、長女の面倒を見るのに集中しすぎたせいか次女がプールの底で溺れたのにも気づかなかった。その当時は自分が発達障害がある事に気付いてなかったので、ひどく落ちこみ幸いその当時はシンガポールに住んでたので安い値段で雇えたのでお手伝いさんを雇い自分は外に働きに行きやはり子供と距離をあけるようになった。そしてそのツケが今来たらしい。
次女は長い海外生活の為日本語が母国語ではない
ので、ある程度日本語は喋れるから日常のことは話すけど肝心の相談事などはお父さんにする。なので、うちにもこの五十嵐大さんのような親子間のコミュニケーション不全は存在する。今昔のツケを埋め合わせるようなんとか日本語が話せるよう塾も通ってるが、本人はあまりやる気がないらしい。長女の方も緩やかに成長してるが、未だにマスクが出来なかったり、紙おむつから徐々にパンツに移行してるけど、やっぱり完全に紙おむつを外すのは難しい状況である。
うちはひとりっ子が2人いる感じ
次女は長女と遊びたいらしいが、言葉が喋れないメンタルが幼い長女とはあまりうまく関われない。次女も将来この作者みたいな気持ちにならなければ良いなと思うけど、いつかもしこの五十嵐大さんと同じような気持ちになったら、ぜひこのエッセイを次女にも読ませてみたい。私にとってはとても心にしみる記事だった。もし書店かコンビニでこの本を見たら皆さんにも是非手にとってみてほしい。
今そこにある幸せに気づかせてくれる記事
だと思う。おすすめです。まあ色々あるけど今やっぱり生きてるだけで幸せなのかな?
海外生活かれこれ14年これまでフィリピン、中国、シンガポールに在住していました。2016年8月よりカナダオンタリオ州オタワに在住。2018年に日本帰国。現在は主にモワットウィルソン症候群に関してや障害児情報、発達障害、レストランや美容情報を発信中
コメント